利己的利他主義は、進化論でいうところの互恵に相当します。
進化論の互恵とは、自分の適応度(生存可能性)を一時犠牲にして相手の適応度を上げる、という利他行為を互いにやりあうことで、結果として互いに適応度を上げることです。二つの個体の間の互恵を直接互恵、多数の個体が仲間内で互恵するのを間接互恵といいます(Nowak 2006)。なお、日本の文化人類学では互酬と訳されますが、原語は同じreciprocityで、訳が違うだけです。
進化論の考え方では、遺伝子は利己的なのが当たり前で、裏切りがごく普通です。その中で、他人どうしが互恵するのは、稀有な現象であり、特別な説明を要します。互恵が進化するための基本戦略は、仲間を助けること、仲間を助けない裏切者を仲間外れにすること、です。この場合、仲間や裏切者の顔を覚えておく必要があり、それ相応の記憶力が必要です。また、裏切り行為を直接目撃してなければ、噂話で聞かないといけません。そのためには言語が必要です。顔を覚えたり、裏切り者の名前を噂したりする。こんな芸当ができる生物は地球上で人類ぐらいしかいません。
互恵は、記憶力によらなくても、お金によっても可能な場合が多々あります。なぜか生物学者は殆ど言及しませんが、現代社会で広く行われている互恵は、お金を通じて行われます。お金を稼ぐために働く行為、また、お金を払って他人の働いた成果を頂く行為は間接互恵です。お金それ自体は無価値ですからね。無価値なお金を媒介にして有益な財やサービスを贈与しあう間接互恵をやってるわけです。これはニューマネタリストのマネー本質論です。お金は裏切り者を記憶することの代替品、「マネーは記憶」(Kocherlakota,”Money is Memory,”1998)といわれる由縁です。マネー本質論と互恵の進化論は通底する議論なのです。
しかし、互恵の進化論は人類の現代社会に応用できない、というのが私の直感です。 これには目的の概念が絡んできます。 現代社会における互恵は、お金を媒介するほかは、多くの場合、企業や国家などの仲間内で行われます。これら企業や国家は特定の目的のために組織された団体です。社会学では目的社会ともいいます。狩猟採取時代は目的社会なんかありませんでしたが、現代では目的社会がとっても重要です。目的の概念をまったく排除するのが進化論ですから、進化論の互恵概念では目的社会をカバーできない。現代社会を扱えないのです。進化論が対象とする人類社会が、狩猟採取社会に限られているのは、これが目的社会ではないからです。目的社会をカバーするには進化論ではダメなのです。